Kitajskaya’s Raccomandazione

このブログでは、私、Kitajskayaが気になったモノを紹介します。私の嗜好はかなり偏っているので、かなりマニアックなものなると思います。また気まぐれなので、更新はまちまちになると思います。 Raccomandazioneとは、イタリア語で「おすすめ」という意味です。

でっちあげ

 

 久しぶりにこのブログで記事を書いてみました。この前の更新が今年の1月ですから、実に7か月ぶり・・・。あまりの筆不精ぶりに我ながら何とも早、呆れてしまいます!!

 今年はいつもの年より夏休みを多くとりました。大分の実家にも2年ぶりに帰省、いつもの年より1日多く実家に滞在しました。その間は地元の古寺に訪れたりして、お陰さまで、故郷での休みを満喫(?)とまではいきませんが、堪能することができました。

  実家での夏休みのことは私のメインブログである「五つの池の喫茶店」で記事にしています。興味のある方はこちらをご覧いただけければ幸いです。

kitajskaya.hatenablog.com

  帰省中は大半が暇だったし、田舎の両親はとにかく夜が早く、午後7時過ぎには寝るので、さすがにテレビを点けて夜更かしするわけにもいきません。そのため午後9時までは家族でテレビを視ましたが、それ以降は寝室でひたすら読書することにしました。その甲斐もあってか、何とか5冊の文庫本を読破することが出来ました。その5冊の中で私が頭をハンマーで強く殴られるくらい強い“衝撃”を受けたのが、こちらの本です。

でっちあげ (新潮文庫)

でっちあげ (新潮文庫)

 

  この本は実は昨年末に購入したもので、購入した動機は文庫本の帯紙にあった

背すじも凍る展開と待ち受ける衝撃の結末に読み終えるまで眠れない!!

 と言うおどろおどろしいキャッチコピーに目を奪われたからだったと思います。ただ日々の忙しさに追われてなかなかページを捲る時間がなく、今回この機会に読んでみようと帰省の荷物に詰め込みました。

 まず田舎に向かう新幹線の中で読み始めましたが、読み始めると本当にキャッチコピー通りでした。途中で読むのを止めるのが惜しくて、それこそ“寝食を忘れて”読書に没頭しました。ただ読んでいてもとても気分が悪く、読み終わった後は不快感すら感じました。このような経験は湊かなえさんの“告白”以来です。

 この本は2003年に福岡市で起きた「教師によるいじめ」事件のルポルタージュです。この事件の概要は以下の通りです。(Wikipediaの解説を引用しました。)

 福岡市「教師によるいじめ事件」は、2003年、福岡市の市立小学校の男性教諭が、アメリカ人を先祖にもつとされる児童に対して、人種差別に基づくいじめを行ったとされて教師が処分されたものの、裁判後、いじめの事実が認定されないとして処分が取り消された事件。

   福岡市教育委員会が全国の教育委員会で初めて「教師によるいじめ」を認め、教諭を懲戒処分としたことで、マスメディアでも大きく取り上げられた。しかしその後、報道は収束。児童の両親側の主張のみを鵜のみにし煽情的に報じたメディア報道のあり方も問われた。

 2013年、福岡市人事委員会は「いじめ」の事実は認められないとして、教師の懲戒処分を取り消した。

                       Wikipedia 福岡市「教師によるいじめ」事件より引用

  私はこの事件については正直ほとんど覚えていませんでした。2003年当時は職種が変わって間もないころと実力もないのに管理職になったこともあって、自分の事で精一杯でした。恐らく「酷い先生がいるなあ」という感じで、対して大げさに受け止めてはいなかったでしょう。

 ただ改めてこの事件を見てみると、事件の特異性といじめを受けたとされる児童の両親(特に母親)とマスメディアの異常性が浮き彫りにされます。また依頼人の意のままにカルテを書き換える医師、部下の話を聞かず保護者の言いなりになる学校関係者、執拗に煽るマスメディアなど、これがドラマの世界でなく現実世界で起きた事件だったことには戦慄さえ覚えました。それはこの本を読まれた読者の方も同じ意見で、文庫本の帯紙の裏側には、次のような読者の声が寄せられていました。

想像をはるかに超えた狂気の連続でした。― (20代女性)

マスコミが信じられなくなった。これが小説じゃなくて現実なんだから恐ろしい。― (40代男性)

正義とは何なのか考えされられました。― (30代男性)

 私がこの本を読み終えて、まず最初に思ったことは「明日は我が身かもしれない」ということです。 マスメディアのこの事件に対する取り組み方は酷いものです。被害者とされる児童の両親の話のみを一方的に信じ、加害者とされる男性教諭の話を全く聞かず、悪者と決めつけセンセーショナルな表現で断罪する。それが連日連夜続くものだから、男性教諭は心中はいかばかりだったでしょう。実名や写真で素顔を晒された彼は自殺を考えていたと語っています。彼は社会から抹殺されたも同然でした。一旦マスメディアから“”だと決めつけられたら最後、後々の人生は地獄が待っている―これは普通の生活を送っている私たち一般人でもいえることだと思います。

 今回のケースでは事件に疑問を抱いたこの本の著者である福田ますみさんや良心的な報道があったからよかったものの、真相が語られずのままだったら今頃はどうなったことでしょうか?つまり「マスメディアが冤罪を作った」と言われても仕方がないことだと思います。

 さらに言えば、事件に火を点けて煽ったとされる朝日新聞週刊文春の記者は、加害者とされる男性教諭の声を抹殺しており、特に週刊文春の記者は裁判の過程で、自分の書いた記事に信憑性がないという真実が明らかにされても一切聞く耳を持たなかったようです。揚句にはこの本の著者の福田さんを批難しています。彼らにとっては「体制を批判することが正義であって、そこには真実などは関係ない。正しいことをしている我々にたいして批判などは言語道断だ!!」という驕りが見て取られおり、この本を読んでいて沸々とやり場のない怒りがこみ上げてきました。 

    今年の4月に報道の自由度ランキングで日本は67位と発表されました。これは先進7か国で最低だそうです。これを受けてマスメディアは「日本には報道の自由がない」とか政権批判に躍起です。ですが、裏を返せばこの結果は「間違った情報を流してもペナルティはない」「自分に不都合な情報を流さない」「自分の書いた記事に対して責任は持たない」といった驕ったマスメディアに対する警告ではないのか、と私は思っています。

     さらにこの本では学校における教員の立場の低さを指摘しています。福田さんは男性教諭に対して、「どうして、やってもないことをやったと認めたのか?」と疑問を投げかけています。それに対する男性教諭の回答に衝撃を受けたと書かれています。

「保護者と教師は同等ではないんですよ。教師の方がなにごとも一歩下がって対処しないとうまくいかないんですよ」

   この事件が起きた2003年は、いわゆる“モンスターペアレント”と呼ばれる父兄が出現し、学校に対して理不尽な要求をし始めた頃と重なります。モンスターペアレントの存在が認識された現在ではともかく、当時はそれほどは認知されていなかったと思います。学校の事なかれ主義の対応は批判されても仕方がありませんが、学校や教育委員会などがもう少し早く彼らの存在に気づくことができれば、このような悲劇は起きなかったのではないかと思います。これはあくまでも私の希望的観測に過ぎませんが・・・・。

 この本の著者である福田さんはあとがきで以下のように述べて、学校や教育委員会警鐘を鳴らしています。

 川上教諭に降りかかった災難は決して他人ごとではない。“子供という聖域”を盾に理不尽な要求をする保護者が増え、それとともに、教師がますます物を言えなくなる状況が続けば、容易に第2、第3の川上が現れても不思議はないからだ。

  モンスターペアレントに絡み、福田さんは2006年に長野県で起きた丸子実業高校バレーボール部員自殺事件についてもルポルタージュし、新潮社から本を出版しています。私はまだこの本を読んでいませんが、是非機会があれば読んでみたいと思っています。ただそれが何時になるかは・・・!?

モンスターマザー: ―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い― (新潮文庫)

モンスターマザー: ―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い― (新潮文庫)

 

 

 

参照:Wikipedia 福岡市「教師によるいじめ」事件、モンスターペアレント

                        丸子実業高校バレー部員自殺事件

 

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

ランキングに参加しています。クリックして応援していただけたらうれしいです!

 


買い物・ショッピングランキング