Kitajskaya’s Raccomandazione

このブログでは、私、Kitajskayaが気になったモノを紹介します。私の嗜好はかなり偏っているので、かなりマニアックなものなると思います。また気まぐれなので、更新はまちまちになると思います。 Raccomandazioneとは、イタリア語で「おすすめ」という意味です。

ルポ 教育虐待

 

 早いもので、2021年もあと残り少なくなってしまいました。このブログも当初は年に数回更新していましたが、最近は年2回の更新がやっとというモチベーションの低さ・・・。特に今年はなかなか時間が取れずにここまで来てしまっており、今回は何とか2021年に間に合うように更新したいと思いました。

 今回紹介するのは、教育評論家のおおたとしまさ さんのルポルタージュルポ 教育虐待」です。

 私がこの本を読もうとしたきっかけは、2018年に滋賀県で起きた娘が母親を殺した事件の裁判が結審されたニュースを見たからです。

 

news.yahoo.co.jp

 

 この事件は、長年にわたり医師になるように母親から強制された娘が、精神的に追い詰められて、母親を殺害した事件で、母親は娘に医学部合格のため9年間の浪人生活を送らせ、また娘に成人になっても一緒に入浴するよう強制したりと自由時間を与えず、娘の行動を束縛するなど、母親の異常すぎる干渉がクローズアップされました。

 このケースの母親は、「子供の人生を支配し、子供の成長に悪影響を及ぼす」典型的な‟毒親”であり、自分の娘に対する一連の執拗な行為は、熱心な教育ママの範疇を超えて、一種の虐待、所謂、「教育虐待」と言えるでしょう。

 「教育虐待」と言えば、今年の3月くらいにネット・ニュースで「慶應虐待」が話題になりました。

 

www.bengo4.com

 

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慶應義塾大学 三田キャンパス 

 大学入試改革などの影響から、大学の附属校の人気が加速していますが、中でも附属の系列校からほぼ100%進学できる「慶應」は断トツの人気を誇っています。慶應には卒業後も塾員としてOBやOGが入会するこの国内最大の学閥組織である「三田会」があり、その団結力や結束力とともに幅広い人脈は垂涎の的であり、子供はもちろんのこと、特に親が「慶應」に進学させるように切望するようになります。

 そこから上記のニュースでもあったように「慶應」に入学するために常軌を逸するケースが発生することになるのですが、それが正直「慶應」に入学した後にも続くとは思いませんでした。ともあれ、この「慶應虐待」にかかわらず、度を越した学歴信仰の弊害が家族の「」を断ち切り、最悪の場合は子供の自死を招く等、家庭崩壊に至ることになり、最近では社会問題化しているようです。

 さてこの「ルポ 教育虐待」ですが、冒頭で著者は

「教育虐待」とは、

「あなたのため」という大義名分をもとに親が子に行う

いきすぎた「しつけ」や「教育」のこと。

と定義しています。

 そして「あなたのため」という親の大義名分のもとに行った行き過ぎと思える例が列記されています。前述した滋賀の母親のような常軌を逸するようなものに近いものも少なからず紹介されており、どのケースも子供の自立心を無くし、その精神をズタズタに砕くものであり、その異常さに思わず本を落としそうになるほどでした。教育虐待の闇である親のエゴ独占欲が赤裸々に曝け出されており、その強さには改めて驚愕しました。

 と同時に私自身も子供たちに過去に無理強いをしていなかったのか?何気ない言葉で子供の心を傷つけてたり、追い詰めたりしなかったのか?子供たちは今は大学生ですが、昔のことを思い出しては反省することしきりです。

 実は私もこの「ルポ 教育虐待」で書かれているような「教育虐待」を、特に母親から受けてきました。当時は「虐待」とは思ってはいなかったのですが、自分の家族が他の家族とはかなり違うものだとはうすうす肌で感じていました。

 何よりも学校の成績が一番、少しでも点数が悪いと体罰が待っていました。それは肉体的にも精神的にも私を追い詰めるもので、成績が悪いと母親からは熱湯をかぶせられたり、冬の寒い日には肌着一枚で外に出されることもありました。母の口撃も執拗で、私の人格を否定する酷い言葉を次から次へと吐かれました。後から父親も参戦し、より口撃と暴行が激しくなり、そんな事でいつも家🏠の中では私は針の筵で、精神もボロボロで崩壊寸前でした。私の捻くれた性格はこの環境から生まれたと言えます。

 だから正直あの両親と毎日顔を合わせるのが苦痛で、しかも学校生活においてもうまく人間関係を築くことが出来ず、郷里ではどこにも私の居場所がありませんでした。「一日でも早く、こんな両親も下から抜け出したい」、私はいつもそんなことばかり考え、この環境から脱出する日を今か今かと待ち侘びていました。

 1浪して世間ではそこそこ名の知れた大学に合格できましたが、それが両親から初めて褒められたようなものでした。それから紆余曲折があり両親との関係も子供が出来たこともあり、たまには衝突することや嫌な気分になることはありましたが、何とか平穏なものでした。それが今年の3月に音を立てて崩れることになりました。

 当時息子が国公立大学を受験していたこともあり、残念ながら受験は不合格となってしまいました。そのことに対し、母親は劣化のごとく怒りだし、息子のことを「人生の落伍者」と言ったり、「親の教育がなっていない」とか「私を喜ばせるような事をしろ」とか自分のエゴ丸出しの罵詈雑言。私はともかく、自分の孫まで私と同じような扱いしていることに愕然とし、母親と絶縁とまではいきませんが、少し距離を置くことを決意しました。結局あの人は何も変わりはしなかった・・・。

 ただ周りの取りなし、特に子供たちにとっては「いいおばあちゃんでいてもらいたい」という家族の願いもあり、今は何とか付かず離れずの関係に戻っています。結局悲しいことですが、私は両親、特に母親とは良好な親子関係、いやまともな人間関係を築くことすら出来なかったと思います。無意識に母親は私のことを自分の‟所有物”のように思っていて、社会人になっても、その考えは変わらず、たとえ遠くに行ったとしても金銭的な援助を口実に自分の支配下に置こうと考えていたのでしょう。そしてそれは今後も変わることはないと思います。

 少し話は飛んでしまいましたが、この本では教育虐待の受けた育った人のその後も描かれています。教育虐待を受けた子供は周りの環境にうまく馴染むことが出来なかったり、人間関係に悩んで鬱病を発するなど悲惨な末路になりがちですが、それでも絶望的な状況を克服し、自分の人生を見つめなおすことが出来た人のことも紹介しています。

 著書では、家庭内で虐待を受け、安心して生活することが出来ない子供たちのいわばシェルター先として、「カリヨン子どもセンター」を紹介しています。この施設は弁護士の坪井節子さんが2004年に開設したもので、当初は入居者の大半が男子だと想定していたところ、実は逆で女子の方が3分の2を占めたそうです。

 これには理由があって、男子だと非行などわかりやすい形でサインを出すことが出来ますが、女子だと内にこもりやすく、なかなか危険信号を出すことが出来ないでいるようです。確かに前述した滋賀のケースも、娘の発したSOS信号を周りの大人が気付いてやれなかったゆえの悲劇と言えます。狂気じみて暴走する母親を止めることがどうしてできなかったのか?この事件は子どもの未来を壊すとともに、殺人という悔やんでも悔やみきれない事件を起こした、あまりにも悲しい出来事だと私は思います。

 また教育虐待に陥らないために、坪井さんは、親は自分自身に次のように問いかけてほしいと述べています。

  1. 子どもは自分と別の人間だと思えていますか?
  2. 子どもの人生は子どもが選択するものだと認められていますか?
  3. 子どもの人生を自分の人生と重ね合わせていないですか?
  4. 子どものこと以外の自分の人生を持っていますか?

 

 この問いかけ、特に3と4には感銘を受けました。やはり親自身が充実した人生を送っていなければ、その不満の捌け口はどうしても弱い立場にある子供に向かいがちです。それは教育虐待のみならず、あらゆる種類の虐待にも言えることだと思います。そう言った意味で、私にとっては今の自分の生活環境を見詰め直す切っ掛けになりました。

 また1,2に関しては、息子に関しては十分にそれが出来ていなかったのではないかと反省しています。息子は発達障害の傾向があり、本人の個性を活かすことできるという周りの助言もあり、地元の中学校ではなく、静岡市内の中高一貫校に入学させました。もともと勉強ができたので、さほど勉強しなくても、そこそこの成績を上げることが出来ました。

 ただその頭の良さと発達障害というハンディキャップ、息子の意志を聞かず、「大学に進学させる」という彼の将来像を親の方が勝手に描いていたかもしれません。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、精神的に不安定になり、成績も急降下しましたが、その不安定な状態の中、何とか活路を見出し、息子は自分の将来について、自分の意志で「大学に行く」ということを両親である私たちに伝えました。この間、家族の間で葛藤がありましたが、今思うと、息子の成長を考える意味でそれはそれで意味のあるものだったと思います。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 

 あとがきの部分で、著者は以下のように述べています。

 教育虐待の闇から這い上がり自分の人生を取り戻した彼らの物語から我々が学び取るべき本当の教訓は、「どんな道を歩むことになったとしても、そのひとらしくいられる限り、ひとは輝く。だとすれば親は、自分の理想を子に押し付けるのではなく、ありのままの子どもをみとめてあげればいい。そうすれば、子どもは、いまこの瞬間にも、まぶしいくらい始めるはじめる」ではないだろうか。

 

 「子どものため」に子どもに干渉することは、時には子供が社会生活の規律から逸脱しないように必要不可欠なこともあります。それによって子供は社会のルールを学んだり、親からの愛を感じることになります。

 ただそれも度が過ぎると、子どもの人格はもちろん、下手をすれが今まで築き上げた家族をも崩壊させる‟諸刃の剣“でもあります。「ありのままの子どもをみとめる」ことは難しく、親はつい自分の価値観を押し付けがちになります。ただそれでは子どもの自立心を潰えることになります。その感情をぐっと堪え、子どもの行く末をあたたかい目で見守っていくのが、私たち親の世代の役目だと思います。

 最後にこの記事は私の毒親だった母親との忌まわしい過去を中心に書かれており、読まれて不愉快なお思いをされた方も多いかと思います。この場を借りてお詫びするとともに、今回紹介した「ルポ 教育虐待」は私のような、教育虐待をされたかつての子どもたちにとっては、とても癒される名著だと思います。さらにこれから家族を作る人や、家族環境に悩んでいる人にも、一度は目を通してほしい本だと思います。

 

参照:Wikipedia 教育虐待、毒親

写真:無料写真素材 写真AC 三田 街並み kawa*******mu

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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